捕獲用の檻

動物捕獲用の檻を区役所か借用してから今日で期限のほぼ二週間が過ぎたので区に連絡。
毎回餌だけなくなっているのだが、檻の中は空。
今までの入れた餌は揚げパン、魚肉ソーセージ、バナナ、キャラメルコーン、ポテトチップなのだが、毎回綺麗に餌だけなくなっている。
先日、波型スレートプラスチックの上にいた動物を初めて発見。猫より大きく 尻尾がふさふさとして大きいのが真下から確認。下から棒で突いて追い回した結果 屋根のつなぎ目から見た正体は尻尾に横島のの文様があるところからアライグマかな。
其の詳細を区に報告すると後二週間延長と言う事になりました。

今日は捕獲用の檻の中にタオルを引きつめて落とし板を覆い隠して餌をセットと半日動物捕獲の雑事に追われ絵を描けず。

これが捕獲用の檻
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横から見ると1メートルほど大きさ


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お休み

夏休み、夏休みでこれから出かけます。
半月ほどこちらをお休みart
yacht

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色ずく葉

切られた木も秋の装いに。
日の当たる南から徐々に色ずいて青空に伸びやかに

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芙蓉

光り輝く芙蓉

同属のムクゲと同時期に良く似た花をつけるが、葉がムクゲより大きいこと、めしべの先端が曲がっている、

枝振りの 日毎に変わる 芙蓉かな―芭蕉Ca390083

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川柳

(どこまでが夢の白桃ころがりぬ)ー 時実新子 ー
短詩の世界はイメージに満ち 抽象絵画と同じ。これは数字、音楽などのように記号化されたイメージの世界。言葉、影像、音、物質の組み合わせの抽象性に面白いものがある。川柳はなかでも気楽に読んでイメージが広がる。
この句を読んで、気品があってのエロチックさにまた桃を描きたくなる。

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スペインのワイン

スペインのワイン
プリオラートのクロス・マルティネのブレンド比率、グルナッシュ35、カベルネ・ソーベィニョン20、シラー20、カリニャン15、メルロー10
ベリー、ハーブ、オリーブの香りがたつワインだ。
と思いつつ夕御飯前の散歩。ここ1週間前からこの時間帯に散歩。この時間帯は一番人が少なく静かで考えながら歩くのに最適。ただ暗くて足元が心もとない。
イチョウの落ち葉が照明の下に彩っている。

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制作の合間のノート

詩と絵画の握手とはシュルレアリスムの紹介した瀧口修造だったように思うが、それに哲学も加わったのが美術。
描く方策としての美術、評論めいた哲学、言葉の機能だけに終始する詩と各々別途に細分化してばらばらに放散してしまった昨今の現状。
30数年前まで熱い運動で前衛的な主張の下に展開した美術、音楽、演劇、詩と別途な分野でありながら個の哲学の下に連動性を有した存在意識を共有していた。あのような流れは今では皆目見当たらない。商業ペースの発想ばかりで哲学性の感じる感覚はこの30数年冬眠中。
氾濫する言葉、消費ばかりの影像に物質と人本来の意識下のイメージを復権することを考えないとこの世の創作物はみんなディズニーランドになってしまう。

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接続狂の時代

誰かとつながっています。糸電話での・CMに出てきていました。
直接向き合って話すより 携帯、PC、電話などの機械を間に入れて間接的に話した方が話せる。直接的なつながりに息詰まる濃密さを感じ 希薄さを求める。直接的なふれあいに濃密と感じる感覚にイメージのサポートが出来るのかな!
責任のない希薄さのなかに遊びとしてのその場しのぎの行動に安心していられる。
行間の沈黙のなかに深い意味を感じること無く言葉が氾濫する時代に生きるのには言葉の表しか見ない方へと突き進んでお気楽、娯楽になってしまった。
ディズニーランドのなかに今の時代の文化(エンターテイメントの映画、アート、文学、演劇、音楽)があるとは正論かも。あまりにもイメージを具体化してしまい、それ以上のイメージを作り得ないまでにしてしまい 後はただ遊ぶだけで現実からの逃避。それでいてたくさんの人と共有している安心感につながっている感覚を求める。
つながりを求めて直接的なつながりを求めずではイメージの世界が見えてこないのでは!

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メタボリックシンドローム

鼻から吸って 静かに口から出す。

ごく当たり前のことを意識してお腹の筋肉を使って肺の中の空気を一回毎の呼吸で出してしまうつもりで行う。吸った空気を体内を一巡するイメージで出来るだけゆっくり吐き出していくことを毎日10分も繰り返せばお腹の脂肪もなくなること請け合いなのだが。毎日やるという根気と集中力が無いと無理。

この呼吸法をしながら毎朝散歩していますと それほどの運動をしなくてもかなり燃焼しているということが実感できます。一度お試しください。

 ビリーズブートキャンプのブームなのか善福寺公園でも毎朝行われていますが、いつまで続くのか見ものです。そういえば太極拳もいつのころからか無くなって何年も長続きはしないものです。思い立ってはやり始め、そのうちに飽きてやめてしまう。それを繰り返していては何をしても無理なように思えるのですが。

 ここの公園でも二つのグループ(ラジオ体操と何体操か分かりかねます)が、何年続いているかわからないほど続いています。年配の方たちですが、皆さん元気そのものです。それを見ると長くやり続けることの精神力が一番なようにに思えます。 

 メタボリックシンドロームを気にする人には他の何よりも根気と集中力が必要だと思いますが!何をするのにも薄皮の剥ぐがごときの日々の研鑽が必要。

 ”日々変わらない生活の中に真実!”

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上野

雨上がりの午後、上野の都美術館での知り合いの美術展を見に行く。団体展の展示は数が多い上、作風もいろいろで楽しめる反面 結構疲れますが、この団体展はこじんまりとしているのでちょうどいいくらいかな。 

その後「スカイ.ザ.バスハウス」の現代美術家の李禹煥展を見る。 元は銭湯で、建物はもちろんの中の番台跡、下足入れなどそのままに、天井の高さが作品とマッチしていい雰囲気を出している。もう少し大きさのあるところで展示したほうがイメージが豊かになるかな。少し作品対作品の距離が近づきすぎて窮屈になって息苦しい。道路に出てガラス越しに見るのが一番いいように思えます。竜安寺の石庭に通じる無機質で、無彩色な空間に能動性より受動性のあるイメージを併せ持つ。 

「芸術にとって、作られていないものや外部は他者であり、未知のものなのです。それに、わずかなタッチと空間を対応させるには、エネルギーの相当な強さが必要です。」 

他者と他者の関係、適度な距離、質量の相関関係(宇宙の星と星の引力、男女の恋愛関係)と世の中の生成のシステムの中に存在する関係を見つめ直すことを喚起する作品で確固とした哲学を持っている。作者自身哲学を学んだところから発している美術である。 

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