« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

釣られたカエル君

ウサギの仲間のカエルが見当たらないので捜索。手の平に乗っかる緑のアマガエルでずーっと大きな石の上に居座り続けていたので散歩でもしたくなったかな!
早く帰っておいで・ウサギ君、羊君達も待っているよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミミズク

ミミズク
ウサギを眺めるミミズク

| | コメント (0) | トラックバック (0)

貴祥庵

貴祥庵
カラスからのプレゼントに喜ぶ貴祥庵のウサギ。入り口で招きウサギをしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

工芸

実用的な要素を目指し 市場の欲求に起居される工芸の世界にあって美術工芸とされる分野は現代美術とリンクする。日本の伝統工芸の中に生きている卓越した美意識の技術の行為と現代美術が接近あるいは迎合したところに新しい美術が芽生える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フォンターナ

1954年の(空間主義技術宣言)で物質主義真っ只中の今日の人類は経験によるイメージの発露とするところの作品には無感動になってしまったとして色、音、行為、空間といった物理的要素を四次元的に統合する芸術を目指した。彼の物質万能を批判的に見える精神こそ70年代の京都に成立した美意識と共通している。作品としての物質は不滅ではないが、ひとつの行為として永遠にとどまる。そこに活路を見いだして芸術を物質から解き放ってみる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンセプチュアル・アートの発想

ソル・ルウィットの言葉(あらかじめ作られたプランに基づいて制作することは主観性を排除する一つの方法である。この方法によればひとつひとつの作品の構成を決めていく必要もなくなる。プランが作品の構成を決めてくれるからである。プランによってはバァリエーションが非常に多く必要な場合もあれば、わずかでよい場合もあるが、いずれにせよ有限である。……作品を完成させる過程でなされる決定は少なければ少ないほどよい。そうすれば恣意性や気まぐれ、主観的な要素を排除できる。)に代表される70年代のアートの姿勢は洋の東西を問わずであったが、日本の動きは欧米の手法とは若干異なっている。もの派の影響下もあるだろうが、もっと根本的に日本の土着化した美意識の中に発想がある。禅の影響下によるところの意識が大きく作用している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

声名

代官山の奈良情報館に出向き 東大寺のお水取りの声名を聞いてきた。
南無観の韻律に新たなイメージが引き出せそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

演劇

友人の演出によるお芝居が来春行われますので、どのような解釈が展開されるか今から楽しみです。 演劇に興味を持たれている方は是非足をお運びしていただきたいです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

■公演日
2008年1月29日(火)~2月3日(日)

■場所
小劇場「楽園」
アクセス:小田急線 京王井の頭線「下北沢」駅下車徒歩5分

■チケットのお申し込み方法
チケットお申し込みの方は、本公演のパンフレットの裏側にある『観劇のお申し込み』部分へ必要事項をご記入の上、FAXにてお申し込みください。

岡田照男演出による演劇「しあわせな日々」が、2008年1月29日(火)から2月3日(日)まで公演されます。
ぜひご覧ください。

詳しくは下部のHPアドレスのパンフレットを

http://members3.jcom.home.ne.jp/otwo/engeki/engeki.html


| | コメント (0) | トラックバック (0)

川柳

(どこまでが夢の白桃ころがりぬ)ー 時実新子 ー
短詩の世界はイメージに満ち 抽象絵画と同じ。これは数字、音楽などのように記号化されたイメージの世界。言葉、影像、音、物質の組み合わせの抽象性に面白いものがある。川柳はなかでも気楽に読んでイメージが広がる。
この句を読んで、気品があってのエロチックさにまた桃を描きたくなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スペインのワイン

スペインのワイン
プリオラートのクロス・マルティネのブレンド比率、グルナッシュ35、カベルネ・ソーベィニョン20、シラー20、カリニャン15、メルロー10
ベリー、ハーブ、オリーブの香りがたつワインだ。
と思いつつ夕御飯前の散歩。ここ1週間前からこの時間帯に散歩。この時間帯は一番人が少なく静かで考えながら歩くのに最適。ただ暗くて足元が心もとない。
イチョウの落ち葉が照明の下に彩っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

制作の合間のノート

詩と絵画の握手とはシュルレアリスムの紹介した瀧口修造だったように思うが、それに哲学も加わったのが美術。
描く方策としての美術、評論めいた哲学、言葉の機能だけに終始する詩と各々別途に細分化してばらばらに放散してしまった昨今の現状。
30数年前まで熱い運動で前衛的な主張の下に展開した美術、音楽、演劇、詩と別途な分野でありながら個の哲学の下に連動性を有した存在意識を共有していた。あのような流れは今では皆目見当たらない。商業ペースの発想ばかりで哲学性の感じる感覚はこの30数年冬眠中。
氾濫する言葉、消費ばかりの影像に物質と人本来の意識下のイメージを復権することを考えないとこの世の創作物はみんなディズニーランドになってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

接続狂の時代

誰かとつながっています。糸電話での・CMに出てきていました。
直接向き合って話すより 携帯、PC、電話などの機械を間に入れて間接的に話した方が話せる。直接的なつながりに息詰まる濃密さを感じ 希薄さを求める。直接的なふれあいに濃密と感じる感覚にイメージのサポートが出来るのかな!
責任のない希薄さのなかに遊びとしてのその場しのぎの行動に安心していられる。
行間の沈黙のなかに深い意味を感じること無く言葉が氾濫する時代に生きるのには言葉の表しか見ない方へと突き進んでお気楽、娯楽になってしまった。
ディズニーランドのなかに今の時代の文化(エンターテイメントの映画、アート、文学、演劇、音楽)があるとは正論かも。あまりにもイメージを具体化してしまい、それ以上のイメージを作り得ないまでにしてしまい 後はただ遊ぶだけで現実からの逃避。それでいてたくさんの人と共有している安心感につながっている感覚を求める。
つながりを求めて直接的なつながりを求めずではイメージの世界が見えてこないのでは!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行為

行為そのものを作品化する。

文字を文字としての機能をなさない記号として唯書き記す。

象形文字のようにイメージ化された記号。

文字の意味性を排除してただ書き記していくだけの行為。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »