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展覧会

退任記念
野田哲也展:日記
会期: 2007年1月11日(木)-1月28日(日)
月曜休館
午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)
会場: 東京藝術大学大学美術館 地下2階展示室

日本の現代版画を代表する作家のひとりである野田哲也は、写真を使ったシルクスクリーンと木版を組み合わせて自身の日常の断片を描いた〈日記〉シリーズによって、独自の作品世界をつくりあげ、国際的な評価を受けてきました。本展は、2007年3月の東京藝術大学美術学部版画研究室教授退任を記念し、〈日記〉シリーズの1968年の記念すべき第一作から現在までの作品のうち主要な版画と立体マルチプル、初期の貴重な習作など、あわせて70点を展示し、野田哲也の歩みをご覧いただきます。

主催: 東京藝術大学
観覧料: 無料
<問い合わせ>
ハローダイヤル:03-5777-8600
-> プレスリリース(PDF形式)
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退任記念
羽生 出 展:面と空間の詩学
会期: 2007年1月11日(木)-1月28日(日)
月曜休館
午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)
会場: 東京藝術大学大学美術館 3階展示室

羽生出は34年にわたって母校東京藝術大学絵画科油画研究室で後進の指導にあたるとともに、 国画会展、80年会展、個展を主に発表活動を続けてきました。 初期の色彩豊かな構成による室内人物の情景や、詩情豊かな静物と風景を構成した魅惑的な具象作品から、 いくつかの表現形式を経て、現在の分割による色面と空間の構成へと表現の幅を広げてきました。 羽生出の眼は一貫して「自然」に向けられ、その確固とした視点は、 自然の持つ様々な様相を探求し絵画という場へ引き込んできました。 その制作と思考は緩やかな揺らぎの中で、「自然」からの形をテーマとしています。 自然と対峙する様は寄せては消える波のように、ダイナミックな流れの一端を作品として昇華し、 作品の変容する様は四季のようでもあります。 本展は、2007年3月の東京藝術大学美術学部油画研究室教授退任を記念し、 油彩・水彩・素描およそ100余点で構成し、羽生絵画の全貌をみてとれる展覧となっています。

主催: 東京藝術大学
観覧料: 無料
2007-01-25 09:24:16

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エンリケ・グラン

エンリケ・グラン

昨日の展覧会からなんとも薄ぺっらなイメージしか出てこない。時々無性に見たくなってくる絵が現れるが、今回はエンリケ・グランだ。ビクトル・エリセ「マルメロの陽光」に出て来る抽象画家。そういえばビクトル・エリセの映画も見たいものだ。

マルメロの陽光(Elsol del Membrillo)1992監督 ビクトル・エリセ 出演 アントニオ・ロペス、マリア・モレノ、エンリケ・グラン  アントニオ・ロペス・ガルシアがマルメロの木を描く様子を映画にしてしまった。ドキュメンタリーか、というとそうとばかりは言えない、作られた形跡があるし、全てが作りものにはなっていないし、ビクトル・エリセの見たある画家の制作過程ということかな。 絵は描けても上手く描けない、普通の人はほとんどそうだろう。上手く描くことの出来る人が学校で習ったり、自分で研鑽して独自の絵画を作り上げて行く。そんなみちすじは分かっていても、絵を描いて行くやりかたとか、方法はさまざまだろう。この映画をみて、彼が一風変わった、きっと彼の性格から来るものだろうきちっとした方法で描いて行くのをみて、描く物へのアプローチの仕方は千差万別だな、と思った。私がやるとしたら、まず鉛筆でスケッチして、水彩で軽く色を付けて、それを参考にしつつ、油絵を描く、と思う。ロペスはカンバスに水平、垂直の線を引き、描く対照であるマルメロの木にも目安となる糸を張り、スケッチかと思いきや、直接色を塗り始めた。この思いがけない直接法の割りには筆の進みが遅い。描かれる対象が静物ではないので、次第に育ち、枯れてゆくので、急いで描かないと見た目が違ってきてしまう。その対応が面白い。マルメロの実にも、葉にも、枝にもしるしを付けてゆく。重みで下がってゆくからである。それだけ厳密に描こうという姿勢が作品に反映されることなく、どんどん時が経ってしまう。絵画は永遠の一瞬を描き止めるものだが、対象をある時間の長さをも含めて表現できたらすごい。映画ではそれは簡単なことだ。いくつかある芸術の間を超えて、成立させることの難しさ、を見た。エリセが試みたのも、今までの映画とは異なる映画への挑戦ではなかったか。それは始めから意図したものではなく、ロペスをどう写し取れば最良のものが出来るか、という自問の中から得た回答であった。ロペスに直接質問することはせず、流れのなかで、彼を訪ねてきた人との会話で説明する。だから、始めのうちは彼がどんな人で、どのようなやり方で絵を作り上げてゆくのか分からず、もどかしい思いがした。きっと監督自身にも疑問はあったと思う。それをあえて聞かず、その答えが出た話し合いを映画に挿入し、観客もきっと持つであろう疑問に答えたのだろう。 映画は親切な芸術だ。作り手が全ての要点を並べ、回答、まとめまで提出してくれるのだから。作者の個性が最も現われるものだ。それだけにひとりよがりの片寄ったのが出来上がりがちだが、対象が一般庶民だから、そんなのは受け入れられない。つまり、一番過激な芸術にもかかわらず、一番おだやかに、分かり易く作らざるを得ない。そんな映画作りのフラストレーションをここにぶつけたのか。画家ロペスが彼なりの自由なやり方で自分の芸術を創造してゆくことに嫉妬でもしたかのようだ。それでも精一杯自分を主張した映画になっているので、エリセは妥協していない。こんな個性的なそれでいて分かり易い映画って珍しい。それは彼が自分を映画作家として、はっきりと認識しつつ、思い通りな映画を作ってしまったことに起因する。たまたまこんな映画になってしまったのか、始めから意図した通りの映画がこれなのか。映画の可能性を広げた映画として、記憶されるであろう。

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千住博

 先日、テレビで放送されていた千住博のフィラデルフィア「松風荘」襖絵を観に山種美術館に行ってきた。テレビで見ていると興味をそそられて見に行ったが、あまりにもテレビから受けたイメージとかけ離れた作品にがっかり。エアーブラシでの仕事なのか作品自体に重みが感じられず、泥絵の具で描いた一昔前の映画の看板のように見えてならない。美術館の照明の影響かもしれないが、色に対して深みが感じられず薄っぺらな印象しか受けない。それにしてもあまりにもひどい。絵画と言うよりイラストと言うのかポスターの領域にしかならない。

 これが今の時代に売れる絵なのかと思うと美術も経済効率だけを考える軽薄短小さが売りの流れにしかないのかなー。

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14日付けの朝日新聞によると欧州車は、日本メーカーが流行をいち早く取り入れるために開発期間を短くしているのと対照的に、時間をかけて「流行にとらわれないデザイン」を追求しているとの事。その辺に日本の経済効率だけの考え方に重点を置いたものづくりの原点があるようだ。

 あまりにも今の日本の文化の無さに特に昭和の文化と言えるものが無い現状に失望する。昭和の文化=経済だけに終わってしまって消費するだけの精神構造だけが残ってしまった。与えられる受動的な文化を消費するだけで創造するイメージを育てる事を忘れてしまった結果の愚考が今日の日本人にしてしまった。教育における知識だけ豊かになっていったが、人としての必要な知恵が古いものとして省みなかった。人造の中で体、精神をはぐくんでもそれは創造性からは、遥かに離れたところに存在するものでしかない。カルチャーセンター文化なる手ごろな文化が花盛りの結果、何の文化も出てこない。

 変化しない、古い、時代遅れなどのことを真に大切に思ってこそ始めて文化と言えるんじゃないかなと思うのだが。

2007-01-15 19:29:44

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